じいちゃんの強さ

2025/10/6

僕のじいちゃんは、季節の農業労働者だった。 漁師でもあり、工事現場の作業員でもあった。 家は裕福ではなかったけれど、 生きる力という意味では、誰よりも強かったと思う。

AI が人間の能力を上回って、 あらゆる仕事を奪い取ろうとしている今、 僕が惹かれるのは、そういう"人間的な強さ"だ。

それは腕力のことじゃない。 精神論の強さでもない。 「大事なものを見定めよう」とか「自分を律する」とか、 そういう意志の話でもない。 もっと静かで、柔らかい強さ—— 自然と調和して生きる強さのことだ。

おそらく、意思を持って努力する人より、 ただ自然のリズムに沿って生きている人のほうが、 本当はずっと強いのかもしれない。 じいちゃんは、そんな人だった。

経済の教科書では、産業を三つに分ける。 第一次産業は農業や林業、第二次産業は製造、 そして第三次産業は情報や金融だ。 長い間、「抽象化できる人」が一番価値があるとされた。 金融市場や IT の世界に近いほど、賢く見える時代だった。

でも、リーマンショックを越えて、 そして ChatGPT の登場で、 その構図もだいぶ変わってきた気がする。

情報産業はもはや「人間の頭脳」だけではなく、 AI とセットで動く仕組みになった。 だからこそ、僕は思う。 これから本当にかっこいいのは、 第 1 次や第 2 次産業に戻っていく人たちかもしれない。

自然のリズムに戻ること。 生きるために身体を使うこと。 考えすぎず、調和して生きること。

それが、AI がどれだけ賢くなっても奪えない、 **人間の強さ**なんだと思う。

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