いま日本では、そして世界でも、 ホワイトワーカーはブルーワーカーに戻れ、 エッセンシャルワークに移れ ── そんな声をよく聞く。
確かに、AI が進化するほど「手を動かす仕事」が貴重になっていく。 でも、正直に言うと、僕は怖い。 もうすぐ四十歳になる自分には、二つの恐怖がある。
ひとつは世間の目だ。 「世の中に上下はない」と言われても、 肉体労働を“下”に見る空気はまだ濃い。 勉強してこなかった人がやる仕事、 誰でもできる仕事、そんなふうに言われることもある。 わかっていても、やはりその視線は怖い。
もうひとつは身体の恐怖だ。 昔、飲食や現場仕事をしたことがある。 高級住宅街向け配送レーンでウォーターサーバーを積み込む仕事をしたとき、 三日で腕が上がらなくなった。 あのとき感じた「体が動かなくなる恐怖」は、いまでも覚えている。 四十を過ぎた今、五十、六十になって、同じように働けるだろうか。 たぶん、無理だ。
だから思う。 もしエッセンシャルワークを“戻る場所”にしたいなら、 その仕事の構造を変えないといけない。 AI やロボティクスで負担を軽くする仕組みを整えないと、 人間の善意や根性だけでは続かない。
そしてもうひとつ。 こういう言葉を軽く“呼びかける側”にも責任がある。 「ホワイトからブルーへ」「デジタルから現場へ」と言うのは簡単だ。 でも、そこには身体の痛みと社会の偏見がある。 それを想像せずに口にするのは、 働く人の現実を見ていないということだ。
人間はどんな仕事でも、 誇りを持って生きられる社会であるべきだと思う。 けれど、その誇りを支える仕組みがなければ、 言葉だけが残酷に響く。
エッセンシャルワーカーを讃えるなら、 まずその「怖さ」に触れてからでないと、 本当の敬意にはならない。