幸福について──資本と静寂のあいだで

2025/10/7

AIやスタートアップの文脈で「人類の幸福」という言葉が やたらと使われるようになった。 でも、そもそも幸福ってなんだろう。 最近、それを真剣に考えている。

まず、欧米的な幸福観と東アジア的な幸福観はまったく違う。 欧米の幸福は「所有」と「拡大」によって定義される。 新しいものを買い、所有し、次の領土を広げる。 そのスピードとスケールこそが成功であり、幸福の証だった。

一方で、東アジアの幸福は、まるで逆だ。 物を持たず、静かな波のように穏やかであること。 禅の思想にもあるように、 雲が流れるのをただ眺めるだけで「幸せ」と感じる感性。 片づけを通じて心を整える、そんな“何も足さない幸福”。 それが、この地域の美意識だったと思う。

ただし、この東アジア的幸福は、 資本主義とは根本的に相性が悪い。 なぜなら、成長しない幸福は、投資のリターンを生まないからだ。

スタートアップがこれまで 「速く」「大きく」拡大してきたのは、 その横に常にキャピタルがあったからだ。 投資を受ける限り、早く、そして大きくリターンを出す必要があった。 それが資本のルールであり、幸福とはまったく別の尺度だった。

でも今、AIが登場した。 小さなチームでも、かつての大企業並みの生産ができる。 つまり、**大きな資本がなくても世界を変えられる時代**になった。

ならば、もう一度考えていいはずだ。 「本当に、そんなに大きくなる必要があるのか?」と。

調達もしていないのに、 誰にも求められていないのに、 なぜ世界を独占しなければならないのか。

これからの時代は、 小さくても、幸福に寄与するものを作れるチームが 最も価値を持つと思う。 **Tiny Team, Quiet Impact.** AIが全人類に“小さな資本”を与えたことで、 幸福の形もまた、等しく配られるようになったのかもしれない。

スタートアップの目的は、 もうGDPを押し上げることではない。 誰かの心の波を、少しだけ静かにすること。 それが、これからの「人類の幸福」だと僕は思う。

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