サービスの過剰とAIの罠

日本に来たことがある人はわかると思う。 この国には、驚くほどサービス精神がある。 頼んでもいないのに、過剰なほどの付加価値をつけようとする。

お土産を買えば一つずつ丁寧に包まれ、 荷物を受け取るときも、必ず人と人で手渡し。 それが「日本らしさ」だとよく言われる。 でもこれは、人間の疲弊と表裏一体だ。

もともとこの働き方は、右肩上がりの経済成長を前提にしていた。 お客様が喜べば、給与も上がる。 努力すれば報われる——そんな時代のサービスモデルだった。 けれど、経済が30年停滞した今、 「付加価値をつける文化」だけが取り残された。 結果として、報われない親切だけが社会に残った。

そして今、その構造がIT業界にも戻ってきている。 スタートアップもSaaSも、競争が激化し、 サービスレベルを無限に高める方向に進んでいる。 利益率が下がるたびに、 「もっとパーソナライズを」「もっと丁寧に」という付加価値競争に陥る。

パランティアが提唱した「Forward Deployed Engineer(FDE)」という概念が象徴的だ。 顧客の現場に入り込み、AIをカスタマイズして成果を出す。 それは高付加価値であり、同時に超過酷労働でもある。

僕自身、似たような仕事をしていて、その強度に驚いた。 頭脳だけではなく、 現場感覚、体力、そして異常な集中力が求められる。 まるで24時間オンラインのコンサルタントであり、 同時にエンジニアであり、セラピストでもあるような仕事だった。

AIによって効率化されたはずの世界で、 人間だけがより高強度のサービスを求められている。 これは「日本的サービス精神」のAI版かもしれない。 お客様が望む前に、すべてを先読みして提供する。 でもその未来には、やはり同じ構造がある。 ——過剰なサービスは、やがて人を壊す。

だからこそ、これからのサービス開発は、 「どこまでやらないか」を設計することが CTOやCEOの重要な仕事になると思う。

AIがあらゆるものを最適化できる時代に、 必要なのは“やりすぎない勇気”だ。